どうも。りんたろうです。
令和初出勤皆さんいかがでしたでしょうか。
りんたろうは初日から連続12時間も働いてまして、気づいたら外は真っ暗。
我ながら1日を本当ただただ消費してるなって感じでございました。
このブログは帰りの電車の中から作成しておりますが、朝からの満員電車。帰りも満員電車。職場もフル稼働でとにかく
疲れた
ただそれだけしか感想はありませんね。
さて、今日はなぜ日本ではブラック企業がこうも増えてしまったのかという事について考えてみたいと思います。
- なぜ日本はブラック企業が多いのか
- こんな風に思ってたら働き方を変えるべき
- 変わらないと起こること
なぜ日本はブラック企業が多いのか
僕は今まで日本でしか働いた事がないので、よくある海外はどうとか、日本はここがどこどこと比べておかしいとかよくわかりません。
ただ大学で過去の働き方を学んだり、年配の方たちと話していると、何となくですが日本企業はブラックになるべくしてなってるなと思うのです。
順を追って話す前に少し脱線するんですが、僕の専攻は経営学だったんですね。その中で経営学史みたい講義がありまして全然メインどころではないんですが江戸時代の頃の人々の働き方に触れる事があったんです。
それを聞いて当時の僕はとてもリスクのある生き方をしていたんだなあ。と思ったんです。
具体的にはほとんどの国民は農業に従事していて、武士や公家、商人といった人達は少数で大半の人々は同じような暮らしをしていたんですね。
ただ講義の中だとこのあたりって速攻でスルーされるんです。昔の働きたは~的な感じでホントにさらっとです。ただその働き方の紹介の中でとても気にかかることがあった事を覚えています。
この頃の日本人はいわゆる農業でも商業でもそれぞれの家族で仕事をしてたんですよね。いわゆる家業ですよ。
こういった状況だと経営学とかなくて、その家族によってのルールで仕事をするわけですよ。それなんで俗にいう経営学とか一律にこうしたらこうだよねとか、こうしたら効率的だよねなんてないんです。今までこうしていたし、これが最適なんだって。
それがなぜそうなのかを考えるよりも結果的に良いのだからそれでいいと。
仕事の進め方として最適化は先人達から学んでたというか。だからこそ先人達をすごく大切にしてきたし、周囲との付き合いもうまくやらないと農業だったら何かあった時に助けてくれないし、商業でも情報を得られなかったために「人付き合い」で仕事をしていたんだと僕は思ったんです。
この状況が僕はとても「リスクある」仕事の仕方だったんだなって思ったんです。
一度ミスったらそれこそ「村八分」で生きていけないなんて当時の日本人ってコミュ力高くね?って。とまあ、ここは本題じゃないのでこの辺にして、、、
やっと本題です。そういった歴史がある中で、小規模なコミュニティの中で仕事を最適化して、それを守ることで生活を維持する生き方は明治・大正と時がさらに進んでも根本的には変わってなかったと思うのです。
それが戦後、アメリカからの非常に合理的な考え方、学問が一気に流入してきてアメリカからこれが合理的だと。こうしなさいと。今まで長い歴史の中で培ってきたものは間違っているんだと。
徹底的に合理化を進めてきました。そして近代、現代にいたるわけですが。
ただ、どうしても日本の働き方の根底には丁稚奉公の姿勢というか、小さなコミュニティでまとまりたいという気持ちが強いように思うのです。
データなんかはないですし、あくまでりんたろうの感じた事なんで、異論はたくさんあると思います。ただ、この記事ではそういった精神論が日本人の根底にある事を前提として話をしていきます。
この非合理の精神論を抱えたまま、合理的な働き方を続ける中、高度経済成長期を迎えこの時代を支えてきた現代年配の方たち。
この世代が現在は社会の中心に立っています。
この世代の人たちは様々な矛盾を抱えながらも自分たちは我慢してきた。それでも頑張るのが正しいし、結果だって出してきたと。原因のわからない自信や体験があります。
一方、昭和の終わりから平成にかけて生まれてきた世代はというと、物心ついた時にはインターネットという世界とつながれるツールがあって、広範囲の情報を目にしながらインターネットがなかった小規模な世界観で生きて人たちと比べると、比較にならないくらい様々な視点を持って総合的に自分にとって何が効率的なのか、合理的なのかを考えて生きたと思います。
主にブラックだと感じる人っていうのは若い世代の人たちが多いと思うんです。
ただブラックだと感じるにはブラックではない環境を知っているからなのだと思うのですよ。そして若い世代が古い世代(悪意はありません。便宜上です)に対して思う事として非合理的だと思う事がブラックだと思わせる原因なのではないかと思うのです。
例えば、やりたくなければやらなければいいとか。楽してお金を稼ぎたいとか。考えたり、思う事って当たり前だと僕は思うんです。誰だって本音はそうだろうって。
でもそんなの古い世代はゆるしてくれません。汗水たらして働かなきゃダメなんだって。俺らが若いときは~って。
でもそれって、なんの根拠もないし、なんで?って。それに対して明確に答えてくれる人って少ないと思います。
僕は楽して働いてお金儲けできる事があるならやればいいと思うんです。
とまあ、社会の中心に現在居座っているメイン人口の人々が前時代的な考えであると。
つまりブラック企業が多い理由としては、時代に沿った働き方をしていない人たちが多いから。
だと僕は思います。
じゃあ、今時代に沿った働き方って?なると思うんです。
そこで僕が思ったのが、今こそ江戸時代の時のような家業を持つことだと思っています。自分の裁量で、自分の働きたいように働き様々な人たちと積極的に関わりあっていくことで仕事を拡大させていくっていう事が大切なのではないかと。江戸時代との違いは小さなコミュニティから大きなコミュニティと関係を持っていく事が重要だと感じています。働かなかったら収入はないけど、自分の身の丈にあった働き方をする。どうしても贅沢したくなったら人間いろいろ頑張り始めると根拠なく思ってます。頑張れなかったら退場するだけですしね。
それなんで今は当時の働き方をリスクあるとネガティブにとらえる事はないです。
普通に会社に務めて言われるがままに嫌な事とわかっていてもそれを我慢して生きるなんて、、、そっちの方が健康を害したり、リスクあるだろ!って最近は思います。
こんな風に思ってたら働き方を変えるべき
っと、こんな感じでいろんな生き方に触れたり、こうしたい!こうなりたい!って明確に自我が持てるようになったらもう働き方を考えて実行したほうがよいのではないでしょうか。働き方改革とか言ってますが、待ってても誰も助けてくれませんよ?
自分がやりたいと思った事なら、まずやってみる!それでダメなら、ダメになった時また考えればいいじゃないですか。
僕は正直ブログ書くとか時間的な事考えたらやれないし、ブログ始めた事とか批判的な人もまあいるんですよ。
でも、やってみたいからやってるし、時間なくても何とか自分の経験を誰かに伝えたいと思って、今もこの記事を書いています。
変わらないと起こること
中には変わりたいとは思ってるよ!でも変われないんだ!という人多いと思うんです。僕だってまだそっち側の部類の人だから。
色々と理由をつけてできない理由を並べるのはとっても得意!ってやつです。
でもです。つい先日ある先輩が言ってたんです。
人っていうのは死に際に後悔せずに逝けるかで、自分の人生が良いものだったか悪いものだったかわかるんだと。
後悔が多い人生なんてつらいだろって。自分は後悔せずに充実した一生だったと思いながら逝きたいって。
めっちゃブラックな企業に勤めてるのに言ってました。そんな逝くとか悲しい事言わないでよって正直思いつつも、きっと先輩悩んでるんだなあって思いましたね。。。
とまあ、何か行動に移さないと個人レベルでは後悔しか残りません!そして、その後悔はいずれ周囲を巻き込んでいきます。
ブラック企業をブラック企業のまま生存させているのは経営者だけの問題ではないと僕は思っています。
この話はまたいずれできればと思いますが、ブラック企業を支えるブラック社員がいるからブラック企業は生存し続けるんです。
なかなか抜け出すのは難しいのもわかっていますし、絶賛ブラック社員やっているが僕が言うのもなんですけど、、、
何も考えず、行動に移さないのはあまりにも悲しいじゃないですか!
世の中にはきっと楽しいことがいっぱいあると思います!(僕あんまり知らないけど・・・)
今日からまたブラック社員やってる皆さん!
後悔のない生き方を一緒に目指しましょう!
と最後は自分自身にもエールを送りつつ今日はこの辺で。
では、また。